それは自分で否定しています

「どんな願いがでもかなう秘訣」なるものを
教える方がいます

「願望が現実化する法則」
を解説する本があります

それは「誰もが持っている
 あたりまえの能力」らしいです

「誰もが持っているあたりまえの能力」を
なぜあなたは高い場所から偉そうに
みんなに教えようとするのですか?

「誰もが持っているあたりまえの能力」を
なぜ仰々しいタイトルの本にするのですか?

その行為が逆に
「誰もが持っているあたりまえの能力」を否定しています

だって
「窒息しないために呼吸しましょう」を
教える人はいません

「喉がかわいたら水を飲むべきである」と
教える本はありません

偉そうに人に教えることが
わざわざ本やブログで発表することが
「誰もが持っているあたりまえの能力」を否定してしまいます

雨粒をコレクションする人

あなたは今この瞬間も超高速で前進しています
わかりやすいイメージとして
大雨の中を全力疾走していると思ってください

あなたの全身はずぶ濡れ
あなたの頭にも顔にも体にも
雨がバチバチ当たっています

そこでついやってしまうのが
ちょうど鼻の真ん中に当たった雨粒を
「これは特別な雨粒だ!」と思ってしまうこと

あなたはその雨粒を仰々しい小瓶に入れます
小瓶の形は様々で
知識とか仕事とか結婚とか家庭とか家族とか
財産とか芸術とか社会貢献とか人づきあいとか

あなたはその大事な小瓶をもったいぶりながら
人に自慢します
「これを見てくれ、どうだい?」
「素晴らしいです!」
「そうかそうか、よし特別に少し分けてあげよう」
この時にあなたもその見せた相手も
土砂降りの大雨の中です
頭の先からつま先までグシャグシャのずぶ濡れです

何を大切にするかは
人それぞれですから
あなたがその雨粒だけを特別に考えること
そのこと自体は特に悪い事ではありません
ただしあまりにもまぬけな光景です

そしてあなたの足がそこで止まってしまいます
あなたが雨粒を見せた相手の足も止めてしまう

新聞でもテレビでも
SNSでも動画配信でも
学校でも病院でも会社でも
国会でも町内会でも
雨粒コレクターたちが
自分の大切な小瓶を
これみよがしに見せびらかしています

足を止めた人が別な人の足を止める

『たった4つのコツを意識するだけで
 あなたのゴルフスイングは劇的に良くなる』

こんな本があったらあなたは買いますか?

「たった4つ」と言い切っているのは
もちろん本を売るためのキャッチーなタイトルですが
著者には実際に「4つだけで誰のスイングも改善できる」という
自信があるはずです
そうでなければ本まで出版できません

でも考えてみればそんなことは不可能です
レベルを考えても
超初心者初心者中級者上級者プロトッププロといるわけで
それぞれスイングで心がけるべきポイントは違います
男か女か若者か老人か身長・体形・筋肉量
打つ球はフェード系かドロー系かクラブの重さシャフトの柔らかさ・・・・
正解となる正しいスイングは何百何千通りもあります

おそらく著者は自分のある段階で「4つのコツ」を思いついた
本当なら次週にはさらにステージが上がり
新しい3つのコツとか新しい5つのヒントを思いつけたはず
でも著者は「4つのコツ」に満足して進むのを止めたのです
「私はすごいコツを発見した!」
「これはみんなに教えないと、本も書くべきだ!!」

この「4つのコツ」があてはまるのは
その時の著者と同じようなレベルの人だけです
ほんとうに狭い狭い有効範囲です

あなたのスイングの最高の先生はあなたの中にいます
インパクトの感触・球筋・筋肉の動き・打球音
自分のスイングと真正面から向き合うことが
あなたに正しいスイングを教えてくれます
正解は本の中にはありません

ではこの本は売れないのでしょうか?
いえこの本はそこそこ売れます
大ヒットはしませんが小ヒットはします
ロングセラーにはなりませんがショートセラーにはなります

読者からは感謝の声が届きます
「ありがとう僕のスイングが見違えるほど良くなった」
「はじめて100を切れました」
「これは最高のゴルフの教習本です」

こんな本が“残念なことに”それなりに売れて
こんな本が“不幸なことに”それなりの人々を助けます

これがトラップなんです
落とし穴なんです
なんでこんなことが起きるのでしょうか?

本を書くのは「足を止めた人」です
そしてその本が読んだ人の足を止めるのです

そして読者の中から新しい6つのコツや7つのヒントを思いつく人が現れ
新しい本を出版し
その本を読んだ人がまたそこで足を止めます

「人生を豊かにするヒント」という本が
あれほど売れていても
みんな不満に満ちています
「不安や怒りを持たずに生きる秘訣」という本が
あれほど売れていても
みんな不安と怒りに埋まっています

すべてはここに原因があります
「本」ではなにも解決しません
誰からも「正解」を教えてもらえません
本はただみんなの足を止めるのです

でも「本」を拒絶しないでください
「本」を否定しないでください
拒絶も否定もそこで足を止めることです
それでは何の意味もありません

思い出してください
あなたは超高速で前進中です
あなたがさきほど誰かから教えられたことは
あなたの数100メートル後ろに落ちています
つまり誰もあなたに何か教えたりできません
そもそも教えるなんてことができないのです

「たった4つのコツ」のような
貧弱で薄っぺらい「正解」に
足を止めないでください

それもブーメランです

人が言ったことを
「それはブーメランだ」と思ったことはないですか?

「周りに迷惑だ静かにしろ」と怒鳴る人

「お前は無礼だ」と言う無礼な人

「お前は生意気だ」と言う生意気な人

「いちいち文句を言うな」と
いちいち文句を言う人

「もっと人にやさしくしなさい」と
人を厳しく責める人

「時間をムダにするな」と
長時間ネチネチ説教をする人

貧乏人を笑うのは貧乏人だし

愚かな人を笑うのは愚かな人です

人の容姿をけなすのは
自分の容姿にコンプレックスがある人

自分の能力に劣等感がある人ほど
人の能力に厳しい

いやいや他人事じゃありませんよ
あなただって毎日毎日やらかしています

人に自慢げに語ったこと
上から目線で教えてあげた事を
じっくり思い出してください

一部ではありませんよ
そういうのって
全部ブーメランだったりしますから

今日もネットを見回すと

「他人の意見に縛られずに
  自分の生き方を探そう」と
熱く語る方がおられます

読む側にとってはそれも「他人の意見」なんですけどね

「自分だけの価値観を見つけよう」

それを読む側で考えると
その人の考えている価値観の押し付けでもありますね

 

またこんな方もおられます

「すべての執着を捨てましょう
 自分の中のすべての
 『こうすべきである』を捨て去るのです
 あなたは絶対にそうすべきです」

自分で矛盾した事を言っていると
なぜ気が付かないのでしょうか


ざっくり言うと
善意と共感をふりかざして
人助けをしよう人の役にたとうと
やたらに助言したがるそんな人間は
一見すごく良い事を言っているようで
意味のない自己本位のどこか矛盾した意見ばかりです

本当に全部が見事にブーメランです

見るのは前だけ

インタビュアー「ご自身の作品で一番好きな作品は?」
映画監督 「次回作です」

かっこいいですね

でもすごい速度で前進しているなら
これは当然の答えです

自分の過去の作品とか
過去の業績とか
過去の栄誉とか

あるいは
自身の人生におけるできごと
誕生とか入学とか結婚とか出産とか
いろいろな人との出会いとか

そんなものはまとめて自分の後ろにあります

無視するとか軽視するとかではないのですが
まあ
「今はそれどころじゃない」

そんな過去の出来事にいちいち
意識を向けている場合じゃないんです

そのくらいあなたも
恐ろしい速度で前に突き進んでいます

あなたの人生は何でできているか

あなたは自分の人生を
どのようにイメージしていますか?

まず誕生の瞬間があり
父母とのつながりからはじまり

いくつもの人との出会いと別れが
あなたの人生を形作る

弟の誕生
祖母の死
友人恋人ができて
生涯の伴侶と巡り合う

進学就職結婚出産という
人生の重要な節目

ぶつぎりのように強調された
いくつもの特異点だけを
あなたは「自分の人生」としてとらえています

でもそんなぶつ切りの特異点はありません
そこだけ特別な意味のある
時間も出会いもありません

意味がないわけではありません
もちろんそれらは大切な記憶です
ただ超高速で前進しているあなたにとって
それほど貴重で特別な事ではない
わざわざそこで足をとめてこだわる必要はない
そういう事です

自分が今超高速で前進しているという自覚は
あなたが見る「自分の人生」の形を変えてしまいます

勘違いをしない

罠というか
あなたが錯覚しやすい事があります

例えばあなたが土地と家を購入するとします

不動産屋と契約し
頭金を払いローンを組み
登記をしてもらい
固定資産税を払い
玄関に自分の名前の表札を飾る

いくつもの手続きが必要だが
それらは特に良いことでも悪いことでもありません
ただの手順にすぎません
そのこと自体には害はありません

ただそれらがあなたを錯覚させます
「私は自分のいるべき場所をついに手に入れた」
「ついに長年の夢を叶えた」
「これはかけがえのない財産だ」

お金とか財産は
所詮ただの道具です
良いものでも悪いものでもありません
ただとても錯覚しやすい
「私は何でも望むものが手に入る
 そんな強大な力を手に入れた」

地位とか肩書も
勘違いしやすい
あなたは「様」をつけて呼ばれ
給与や支援金を支払い感謝される
自分がまるでみんなを上から見下ろしてる
そんな勘違いが始まります

信奉者やファンに
囲まれることが
あなたに
自分が特別な人間だと勘違いさせます

教師先生医師
評論家知識人カウンセラー
専門家コンサルタント講師
宗教家思想家エッセイスト
占い師セラピスト
毎日毎日教えて教えて感謝されるうちに
自分の知識は人を助けている
自分は世の中の役に立っている
そんな勘違いが止まらなくなります