ほとんど誤差みたいなもの

マッハで空中を飛翔するミサイルは
当然激しく振動します

空気抵抗をうけて
ガタガタというかブルブルというか
それはただの振動なのですが
振動も動きですから
それも「移動」といえば「移動」です

超高速で移動中の私たちが
気にしているのは
だいたいこのガタガタブルブルの部分です
ただのブレの範疇です

「これがしたい」
「あれがほしい」と
必死に足を動かし
必死に手を伸ばす

でもそこは誤差みたいな世界です
気にする必要もないくらいの
ただの振動ですブレです
笑っちゃうくらいのどうでもいい部分

でもそこをまるで
「生きる目的」とか
「人生の目標」とか
「最大の生きがい」
みたいに信じ込んでいる

本やテレビやネットやSNSが
あなたに教えてくる
「これを買いなさい」
「ここに暮らしなさい」
「あれをしなさい」
「これをしてはいけない」
そんなのも全部
この誤差のブレの部分の話です

尊敬されるという罠

宝くじ高額当選者の中には幸福をつかんだとは
とても思えない人もいます
突然増えた親類縁者や知人から
毎日のように投資話や資金援助依頼が殺到し
断ると逆恨みされる

問題はたかる側には尊敬がないこと
「どうせ宝くじ当選のあぶく銭だろ
 こちらに少し回してくれてもバチはあたらないさ」

それに比べると
自分の才能と努力で成功した人には
尊敬が集まります
「あなたの作品に感動しました」
「あなたの業績は本当にすばらしい」
「あなたを心から尊敬します」

しかしこのような信奉者は
お金をたかろうとする人より
はるかに厄介です
その対応を間違いやすいのです

もちろん「尊敬されること」は
悪い事ではありません
たいしていい事でもないのですが

ただ「尊敬してます」と言われたあなたは
ついそこで足を止める
ついそこで足を止めてしまうのです

一度足が止まると
「ああ先生私に教えてください」
「どうか指導をしてください」
「あなただけが頼りです」
「お願いします」
尊敬があなたを縛ります
尊敬があなたの視野を狭めます
尊敬があなたを動けなくします

願いのかなえ方

「私は必ず自分の夢をかなえる」
「私は絶対にこれを手に入れる」
「これを成せるなら他の望みはない」
あなたは必死に計画し準備し
諦めずに努力して努力して努力して
ついに夢をかなえる

なんだかとても素晴らしいことの
ように聞こえますが
実はこれが落とし穴です


ラソンの給水所を思い出してください
一流のランナーは
ほとんど前を向いたまま
全くペースを落とさず
ひょいとつまむように自分のドリンクを取ります

これが三流ランナーの場合は
給水所が目に入ると
「あのドリンクを絶対取らなければ」
もう走り方がおかしくなる
歩幅もスピードもコース取りもガッタガタ
呼吸もフォームも乱れまくり
そして目的のドリンクを全力で握りしめる
たしかに欲しいものは手に入れたとしても
他のランナーにぶつかったり
足を踏まれたり転んだりもします

「私はあれを絶対手に入れる」
「私はこれを必ず成功させる」
これが間違いのもとです

すっと横目で見て
ひょいっとつまみあげる
こんな感じがいい

私たちはマラソンランナーとは
比較にならない圧倒的なスピードで前進中です
前にある物を見て
「あれを手に入れたい」
と思った時にはもうそこを通り過ぎています
そのくらいの高速移動中です

そしてあなたの
「手に入るもの」
「手に入れるべきもの」は
次から次に途切れることなく
目の前に現れます

それは物だけでなく
人との関係や恋人家族
仕事や職場もそうです

あなたの
「あれを絶対に手に入れる」
「あれを必ず手に入れなければ」は
全く意味がありません
はっきり言って邪魔です

高速で前進してるとは毎秒毎秒薬を飲むようなもの

誰かから言われた言葉が心に響いたことはありますか?

「なぜこの人にこんなことを言われるのだろう?
 ・・・・そうか!私の中に原因があるんだ!
 これは私への処方箋なんだ!!!」

それは正解であり間違ってはいないのですが
残念ながら
鈍すぎます 鈍感すぎます


今あなたが感じている感覚と感情
そのすべてに意味があります
それはいわば毎秒毎秒あなたの症状に合わせて
処方される薬のようなものです
その薬の有効期限は一秒で
次の一秒には違う薬が処方されます

ですから薬を貯め込むことには意味がありません

「これは大事なことだ 絶対に忘れない」とか
「これはすごく大事 毎日しなくては」とか
そうやって貯めこもうとする
そんなのは全部無用です

そして薬を人にあげることにも意味がありません
「これは〇〇にも教えなければ」とか
「多くの人々にこれを伝えるべきだ」とか
そんなのは全部無用です

「してはいけない」というのではなく
そもそも毎秒毎秒きちんと薬を服用しているなら
その薬を人にあげようとか
そんなことを思いつきません
そんなことは頭に浮かびません

「教えてあげよう」と考えられる時点で
「多くの人に伝えなくては」と思いつく時点で
あなたは薬を服用せずに貯めこんでいます
有効期限が一秒という薬を
その瞬間のあなたの状態に適合するように処方された薬を
大量に貯めこんでいます
あなたは薬の山にうずまっています


あなたが瞬間瞬間に感じる感覚と感情は
すべて意味があります
つまりすべて正しい

本やメディア、ブログ、SNSも含めて
あなたが誰かに教えることは
思い切りざっくり言って
すべて間違いです

・・・・・それはこのブログ自体も例外ではありません

今日も学校で職場で
テレビで新聞で雑誌で本で
ネットでSNS
有効期限のとっくに終わった薬が大量に配られます
大規模に強制的に徹底的に配布は続けられます

有効期限の過ぎた薬には特に害はありません
しかし結局
貰った薬を飲むことにばかり必死になってしまい
あなたは本来飲むべき自分のための薬を
飲めなくなります

背中で語る

「背中で語る」・・・いい言葉です
しかしこの言葉が使われるすべての場面で
その意味が全く間違っています

「私は背中で語る」
  口で語っていますけど?

「ごちゃごちゃ言葉を並べたくない
 生きざまで示したい」
  ごちゃごちゃ言葉を並べてますけど?

「背中で語ろう」と意識して
 自分の背中を見る者を導こうとか
 自分の背中を見る者を助けようとか
 自分の背中を見る者に何かを教えようとか
 そんな気持ちがあると
 自分がコケて大けがをします


自分の背中は見えないのですから
それを誰かへのメッセージに
使おうというのがそもそも無理です

あなたが見るのは前だけでいい
誰かを助けるとか
誰かを導くとか
そんな意識がまったくないところに
本当の「背中で語る」があります

超高速で前進しているわけですから
自分の背中のことなど考えていられません

自殺について

自殺はすべきではない
まあそれはそうなんだけど
それはただ
あなたは今「自分が死ぬこと」だけにこだわっていますよ
頭の中がそれだけで一杯になっていますよ
しがみついていますよ
あなたの足が止まっていますよ
結局それだけの話です

「自殺は絶対にしないで」
「自分の可能性を信じてください」
「未来は絶望だけではない希望を持ちましょう」
「どんな人間にも生きてる意味があります
 あなたにも必ず見つかります」
こんなふうに必死に自殺阻止に尽力することも
自殺したがるのと同じくらいの
足の止め方であり停滞のやり方です

そしてそれは
「自殺するのはダメだ」という価値観の押し付けです
勝手な価値観の押し付けは
死にたがっている人に対して一番してはいけないこと
それなのにその場は自殺を思いとどまらせて
私はこの人の命を救った
自分は良いことをしたと自己満足にひたっています

「この人を救わなければ」
と身構えるのがダメです

子育てとか教育でも
「私がこの子を育てるんだ」とか
「私がこの人を更生させる」
「私がこの人を正しく導く」
そうやって身構える
それがダメです

あなたが超高速で前進しているなら
むこうがあなたの進む背中を見る
背中を見せるではなく
むこうが勝手に背中を見る
多分そのほうが100倍良い

 

自分が超高速で前進していると自覚できれば
自殺することなど思いつきもしません

例えば
すべてのカットを撮影し終えて
映画完成のためにあとは編集するだけ
という映画監督がいるとします

もちろんその監督は「自殺」など考えない
それどころじゃありません
その監督の目の前で誰かが自殺しようとしても
監督はそれを止めません
止められません
なぜなら今監督には「自殺したい」という気持ちを
想像できません理解できません共感できません
本当にそれどころじゃないんです

「えーと?・・・・・・死にたいって??
 あーなるほど、話を聞くだけならいいよ
 君の話を聞かせてください
 でも私は自分の仕事しながらでもいいかな?」

 

自殺について書くのは難しいです
上の文もかなりダメダメです
数日後に削除するかもしません

世界を造り変える方法

7月に入ったばかりだというのに
ものすごい猛暑

Aさんは考えます
この夏はすごい暑さになる
なんとかして過ごしやすい夏にできないか
自分のためにも みんなのためにも

Aさんはあることをひらめきます

太陽を背にして立ち
右足と左足を交互に前に出す

これがAさんの発見した
世界を涼しくする方法でした

まず1日かけてやってみる
暑さは全く変わりません
でもAさんはあきらめません

2日3日4日やはり変化なし

7日8日9日・・・・ひたすらに続けます

20日30日少し気温が下がってきました

40日過ぎました
8月の半ばだというのに過ごしやすい気候になっています
Aさんは喜びます
「やったー!俺が世界を涼しくしたんだ!
 みんな聞いてくれ、世界は変えられるんだ
 みんなにだってできるんだよ
 俺がみんなにやり方を教える」

しかしなぜか周囲の人たちは苦笑します
「あんただね 東京から徒歩で来た変人というのは
 涼しい?青森の夏は毎年こんなもんだよ」


Aさんの試みは大成功でした
Aさんは夏を涼しく変えました
Aさんが世界を造り変えたんです
世界を造り変えたのはAさんです

でもそれを人に自慢できません
人に教えることはできません
なぜならそこにいる人にはあたりまえのことでした

私たちは世界を造り変えることができます
でも実はそれはこんな感じです
いうならば「それがとっくにあたりまえになってる世界」に
自分が一番最後にたどり着く
そういう事なのです

もしあなたがたくさんのお金を持ちたいのなら
みんなが持ちきれないほどお金をもっていて
誰もが邪魔なお金を押し付け合っている
そんな世界に行けばいい
それだけです

ただしそんな世界に行けるのは
「僕はお金なんていらないよ
 誰か僕のお金を貰って」
と思っている人だけでしょうけど


Aさんはあきらめずに粘って粘って
目標にたどり着きましたね

でも自分が世界を涼しくする事なんか
宇都宮とか郡山あたりで
早々に投げ出して
人を集めて
「世界は人生は変えられます
 私がその方法を教えます」
これをやってしまうポンコツ先生がたくさんいます
本当に悲しいくらいたくさんいます

想像してください

越谷とか福島とかに
自分でがむしゃらに前進することは止めてしまった
(多少の前進は続けています)
知ったかぶりの教えたがりの善意の先生たちがいます
先生たちには悪意はありません
自分は良い事をしていると信じています

そんな先生たちの活躍により
たくさんの人がそこで足を止めてしまいます
先生たちの素晴らしい指導に
心を奪われ足を止めてしまうのです
そして足を止めた人が新たな先生になっていきます