視野の広さ

視野が狭い人にとっては
目指すゴールはたった一つです
そこへ至る道も一本きりで恐ろしく細い道です
いわば カイジの鉄骨渡り を常にしている状態です

そうすると目の前にいる人間はすべてじゃまな障害物になります
お願いして道を譲ってもらうか
力ずくで排除するしかない
目の前にある物と人を
勝ち取り奪い従属させ飼い慣らす事で前進できる

でも本当は
あなたが進んでいる道はずぅぅぅっと広い
端なんか見えないほどの広い広い道です
誰もあなたのじゃまになんかなりようがない
誰かに道を譲る必要もないし
譲られる必要もありません
そして「私についてきなさい」と誰かに言われる必要も無く
誰かに言う必要もない

「頂上まで5km がんばりましょう」
「頂上まで1km もうひとがんばり」
「頂上 おめでとう」
こういうおせっかいな看板が余計なんです
「山登りの途中は苦行」と誰が決めたのでしょう?
「頂上がゴール」だと誰が決めたのでしょう?

氾濫するダイエット情報なども本当にありがた迷惑です
「こういう食事で痩せられます」
「こういう体操で痩せられます」
それは「痩せなければダメだ」という価値観の
あなたへの刷り込みなんです

健康法・美容法・勉強法・蓄財法
仕事術・整理術・掃除術・時短術
人生訓・処世術・生きるためのヒント
常識とかマナーとか礼儀とか
広告とか宣伝とか
お得情報とかお役立ち情報とか
そういう役に立ちそうな沢山の指導とアドバイス
積もり積もって
いつしかあなたの視野を狭めていきます
あなたの目指すべき目標が勝手に決められてしまいます
あなたが努力すべき課題が勝手に決められてしまいます

鉄骨渡りから抜け出してください

正しさをこじらせない

青ざめるほど緊張している選手の前で
仁王立ちしたコーチが怒鳴る
「もっと力を抜かないとダメだろ!
 もっともっとリラックスしろ!!」

一日に何度も何度も何度も何度も子供に語りかける親
「私はおまえに何も強制しない おまえはのびのび自由に育ちなさい
 自分の個性を伸ばしなさい のびのびだぞ のびのび育ちなさい」

「俺は誰にも縛られない 自由に生きるんだ
 親だろうが教師だろうが上司だろうが国家だろうが
 俺に命令するな強制するな 断固として全て拒絶する
 俺は自由だ自由だ自由だ自由だ自由なんだ!!!!!」

「なぜみんな助け合わないの?博愛の心を忘れないで
 やさしさに満ちた世界をみんなで協力して作りましょう
 それが私たちの使命です」

「古い価値観に縛られてはダメだ
 絶えず新しい事を取り入れて変わっていくべきだ
 いつでも新しく新しく新しく新しく
 生まれ変わって生まれ変わって生まれ変わって」

「唯一絶対の正義など無い
 異なるそれぞれの考え方と価値観を互いに尊重し認め合う
 そんな多様性のある社会を我々は実現させるべきだ」

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そこまで極端ではなくても
同じように「正しさ」をこじらせてる人がたくさんいます
彼らの言ってる事は決して間違っていません もちろん正しいのです

「正しいこと」が書かれたたくさんの本
「正しいこと」を教えるたくさんの教師・専門家・政治家・宗教家
さすがにみなさんプロなので言葉に重みがあり説得力があります
でもそこにある本質は結局こじらせまくった「正しさ」なんです

そんな出来合いの「正しいこと」に頼らないでください
そんな出来合いの「正しいこと」にしがみつかないでください
そんな出来合いの「正しいこと」に反発もしないでください
そんな出来合いの「正しいこと」と争わないでください
反発・反対・拒絶も「正しさ」のこじらせ方の一つです

音楽を聴いて「いい歌だな」これだけでいいんです
「これは絶対にいい歌だ!」に始まって
「毎日この歌を聴いて元気をもらおう」とか
「みんなにもこの歌を聴かせなければ」とか
そういうところから「正しさのこじらせ」が生まれ
他の人にまで影響していきます

美しい風景に胸を打たれる
そこまではいいのです
「毎年必ずここに来よう」
「その時は・・・も必ず連れて来よう」
はい こじらせています こじらせています

ここではいつも必ずこれを食べる とか
ここではいつも必ずこれをやる とか
ルーティーン?ジンクス?決まり事?
ルール?ポリシー?
それって「思考停止」ですよね

わざわざ本を書いて
わざわざテレビに出演して
わざわざ演台に上って
自分の思考停止を人に教えようとする人が
なぜあれほど沢山いるのでしょうか

そっちはゴールではありません

見事な作品を作ったアーティスト
素晴らしい曲を作ったミュージシャン
すごい業績を残したスポーツ選手、冒険家
革新的な発見をした研究家、発明家

その中にたまにこんな事を言う人がいたりします
「私がやったというより
 誰か(アザーセルブズ?)にやらされていました」
「自分ではない何かに助けてもらいました」
「頭にすーと浮かびました」
「最初から完成形が見えていたので肉付けしていっただけです」
「苦労して自分が作り上げたというより
 どこか(ネイバーワールド?)から
 ひょいと借りてきた感じです」

しかしインタビュアーという頭の悪いハイエナみたいな人たちは
こういう答えでは納得してくれません
どのくらい大変だったか どこに一番苦労したか
しつこくしつこく聞き出そうとしてきます

そんな取材に対応する側も感化されてしまい
「私はすごい苦労をして これをやりとげた」
頭の中がそんな感じに固まってしまい
すごいことが最初のように簡単にできなくなる

時間をかけて苦労して苦労して悩んで悩んで
迷って迷ってなんとか形にできる
そしてそのほうがファンや支持者にウケが良かったりするし
弟子や生徒を指導するにも都合がいい


あなたがマイペースで仕事をスイスイこなしていたり
自分流の工夫で何かを創作したりしていると
「どうしたら上手くいきますか?」
「いつも心がけてる事は何ですか?」
「何が大変ですか?」「一番苦労したのはどこですか?」
誰かにこう質問されます

その時の対応が、ある種のワナとでもいうか
そこに深い深い落とし穴があるんです

みんなはあなたの努力、苦労、負担、犠牲を知ると感動してくれます
賞賛してくれます尊敬してくれます
どれだけ頑張ったかどれだけ辛かったかを話せば話すほど喜ばれます
これが批判とか反発とか嫉妬、やっかみならあなたも対抗できるのですが
賞賛や尊敬はつい無抵抗に受け入れてしまいます
そしてあなたは自分がなにかすごい事をやりとげたと勘違いします
自分がなにかすごい人間になったと勘違いします
そして偉そうに自分の信念や成功するための秘訣を
人に語り出すようになります

この勘違いが甘い蜜の味なんです
それはそれは恐ろしいほど甘い甘い蜜の味です

「謙遜を忘れず驕るな」とか
「すごい事をしても威張るな」という話ではありません

「多くの人に感心され称賛され
 人を教える人間、人を導く人間」になってしまうと
それまでスパスパできた事が「苦労して苦心する大変な事」になる
そしてあなたの苦労と苦心を人が褒めてくれる
あなたの苦労と苦心を習いたいと人が集まる

あなたが抜け出せない、抜け出したくない
輪がそこに完成します

この輪がさらに経済的安定につながると
あなたは自分の状況を「成功」と考えてしまいます

世の中はそんな「成功者」と
「成功に憧れる人」「成功を目指して頑張る人」でいっぱいです

多くの人がこの輪にはまってしまう原因の一つは
学校で教えられた
執拗に執念深く骨の髄にまで叩き込まれてしまった
「辛い困難を乗り越えることで人は成長できる」
というとんでもない間違いにあります
私たちが目にする本マンガ映画テレビのほとんどが
この間違いの後押しをしているので本当に始末が悪いです

輪から抜け出すために
「頑張らない 肩の力を抜いて生きる」という考え方は
間違ってはいないといえばいないのですが
この言葉をまた額に入れて飾って大事にしがちなんです
それをやってしまうとすべて台無しです
「リラックスしろ」と怒鳴るコーチと同じです
「頑張らないことを頑張る」という
笑い話のようなちぐはぐさです

言葉にするのは難しいのですが
もっと自然にもっとあたりまえに
気がついたらそもそも輪なんてあったかな?みたいな
そんな感じです
そこはほら
なんにもひっかからずに
するっと抜けてほしいのです
するっと抜けられるんです

額縁に入れない

新人に仕事を説明したあと
あなたは説明が雑だったと反省する
そこであなたは大きな紙に
「新人には丁寧に説明する」と書いて
額に入れようとします

そうじゃないでしょ
当の本人があなたの言葉をどう受け取っているか
肝心なところはそこでしょ

自分の心の中の部屋に入って
周囲の壁をよーく見渡して見ましょう
たくさんの額が隙間無く飾られていますね
「親切」「思いやり」「努力」「笑顔」
「日々に感謝」「助け合い」
「人を立てる」「でしゃばらない」
「元気にあいさつ」「相手の話を良く聞く」
「困ってる人を助ける」「人に迷惑をかけない」
「誰とでも仲良く」「陰口を言わない」
「継続は力なり」「時間を無駄にしない」
「約束を守る」「子供は褒めて伸ばす」
「適度な運動」「暴飲暴食はだめ」
「くよくよしない」「途中で投げ出さない」
「がまん」「高望みをしない」
「前向きに」「集中」「なまけない」
・・・・・・・・・・・・・
うわぁ
まだまだ膨大な数がありますね
よくもこんなに集めたものです

だからあなたは誰かと話している時も
これらの額を見ています
なにか上手くいかない事があると
考えるのはこれらの額の事ばかり

こんな額に頼るのは
もうそろそろいいのではないでしょうか?

それからもちろん
この「額に入れて飾らない」も
額に入れて飾らないでください


最初に戻って考えてみると
「説明が雑だったかも」と
なぜあなたは思ったのでしょう?
その新人の言葉・態度・表情から
あなたは何かに気づいたのですよね
おそらくそこが重大なポイント
一番意味があった部分
あなたを導いてくれるなにかでした

しかしあなたが
これみよがしにでっかく仰々しく
「新人には丁寧に説明する」とか書き出して
その額を心の中の部屋に飾ってしまった時
すべて台無しになったのです

何を見るか

あなたは“たまたま”頭が痛くなります
その時“たまたま”居合わせた知人が
“幸運にも”鎮痛剤を持っていて
“幸運にも”あなたにそれをくれた
その鎮痛剤を飲むと痛みが嘘のようになくなりました

あなたはその鎮痛剤の名前をしっかり覚えて
薬屋に行って買いだめしようとします

違います
肝心なところはそこではありません

はっきり言って
鎮痛剤を買いだめしたことで
これから何度も何度も頭痛で苦しむ
あなたはそんな未来を自分で確定させたんです

あなたを救ってくれるのは
あなたを導いてくれるのは
そんな「鎮痛剤の名前」ではなく
“たまたま”とか“幸運にも”の部分です
おそらくそこに
「なぜ自分の頭が痛くなったのか」とか
さらには「頭痛は自分にとって悪いものなのか」
「そもそも頭痛とは何か」
いろんな答がいっぱい隠れていたと思います

それなのにあなたの頭は
鎮痛剤の名前を覚えるのだけに必死です

見当外れな原因と結果を勝手に作ることは
たくさんの可能性をどぶに捨てることになります

医者や本が告げる「病名」で自分を縛り付け
自分が病気になった「原因」と
これから全力で続けなければならない「治療法」で
頭の中をいっぱいにしてしまう
あなたがしているのはそんな事ばかりです
何度も言います
それは絶望的に見当外れをしています

「恋愛」とか「結婚」とか「仕事」とか
「子育て」とか「家族」なんてレッテルも
ついつい自分を縛り付けがちです
そこから派生する膨大な量の
「こうしてはいけない」と
「こうするべき」によって
あっという間に身動きできなくなります

学校について

あなたは走っています
風は気持ちがいいし小鳥の声も聞こえます
あなたはとても楽しく走っています
前に大きな木が見えたので
あなたはその木陰で休もうとします

しかしあなたがいる“がっこう”という世界では
そこで“せんせい”という謎の大人がやってきます
「だめです こんなところで止まってはいけません
 あなたが目指すゴールはまだ先です
 あきらめないで 頑張りましょう」

あなたは訳がわからないいまま走り続け
息もたえだえにゴールといわれた場所にたどり着きます
“せんせい”はあなたを褒めてくれます
「えらいですね よくあきらめませんでした
 困難をのりこえて 今あなたは成長しました
 これからぶつかる困難も頑張って乗り越えてください
 あなたならできます」

“せんせい”の言うことはまったく意味不明です
これから私が困難にぶつかるとか
そんな勝手な予言はどこからでてくるのでしょう?
辛い勉強をしてテストとか受験とかを乗り越えろ?
勉強って辛く苦しいものなの?
それで私が成長できる?成長ってどういうこと?

教育に関する問題点は 詰め込まれる生きるのに無用な知識
受験戦争 いじめ 学級崩壊 落ちこぼれ 登校拒否
いろいろありますが
いつの間にか自分がレースに参加していることにされ
「あなたはライバルたちに遅れないように
 頑張らなければならない選手です」
そう勝手に決められたことがそもそもの始まりです

しかしあなたは
「学校なんか必要ない!」とか
「今の教育制度は間違っている!!」とか
力んで反発する必要はありません

教育とか政治とか行政とかは所詮はシステムです
システムとはつまり 膨大な数のレッテルの集合体です
レッテルの塊と戦おうとしても意味はありません

あなたは楽しんで走っていました
そこへ誰かに「そのままずっと走り続けろ」と命令される
せっかく楽しんで走っていたのに
その命令に反発して走るのをやめるというのは損だし
逆に命令に縛られています

自分が走っている先に
たまたまレッテルでできた大きなハリボテがあった
つまりはそれだけの話です

完全な自由

私たちは自分で考えているよりも
はるかにずっと恐ろしいほど自由だったりします

それは近未来の最新型宇宙服を着て
宇宙空間に浮かんでいるような状態です
あなたの全身には数百個の超小型推進装置がついていて
すべてあなたの視線とフルオートで連動しています

「あそこに土星が……」
もうあなたは土星方向に超高速で飛んでいます
「あれは木星かな」
あなたは木星めがけて突進しています
ただし土星木星も遠いので
あなたは自分が超高速で移動していると実感できません

どうしても不幸から抜け出せない人がいます
貧乏から抜け出そうと毎日必死に頑張る
でもそれこそが理由なんです
「お金が欲しい」「お金が欲しい」
「貧乏はいやだ」「貧乏はいやだ」
貧乏の事しか見ていないのですから
その人は貧乏方向にまっすぐ突き進んでいます

家族の問題で苦しむ人がいます
「あの家族さえいなければ」
「あの家族さえいなければ」
その家族はもっと深刻なトラブルを起こします

「視線と進行方向は連動している」
不幸な人が自分で不幸を呼び寄せているように見えるのは
結局これなんです

進みたい方向を見ればいいだけなんですが
「物事の良い方だけを見る」は違います
だってそれは
悪い方があってそっちを強く意識していて
「そっちは見ちゃダメだそっちは見ちゃダメだ」でしょ
当然あなたが向かうのはその悪いほうです

「素晴らしい理想を思い描く」も違います
そこには強く意識している抜け出したい現実がありますよね
当然あなたが向かうのはそっちです

そうじゃなくて あなたはただ ただ自由なんです