断捨離という勘違い

断捨離にとりつかれてしまう人がいます

不要な物をすべて処分すれば
心は自由になり晴れやかになり
生き方はシンプルになり
やるべきことが明確になり
より豊かで充実した人生になる

そう信じてとにかく捨てまくる売りまくる
そして私物だけでは足りなくて
夫や子供が買った物まで無断で処分する


途中までは良いんです
「自分はたくさんの物に埋まって生きていた!
  これらの物など全部無くてもいいんだ!!」
そう気がついたところまでは素晴らしい

でもそこから寸暇を惜しみ「あれも捨てる」「これも捨てる」
「捨てる」「捨てる」「捨てる」「捨てる」「捨てる」・・・・・・・・
それは逆に「物」に支配されている生き方でしかありません

物に執着しないとは
あってもなくても気にしない気にならないこと

あなたを幸福にするのは「物」ではありません
つまり
「物を溜め込むこと」とも
「物を捨てること」 とも
まったく関係がありません

階段を昇って幸せになる?

「幸せつかみごっこ」をやってみましょう

階段の一番上に「幸福」
一番下に「何も無い不幸な自分」と書いた紙を貼ります
たくさんの空き缶に
「お金」「恋人」「結婚」「家族」「マイホーム」「就職」「出世」「起業」
「レジャー」「旅行」「友人」「余暇」「趣味」 などを書き
階段の途中に置きます

階段の下からすべての缶を拾い
落とさないように抱えながら昇っていきます
一番上にたどり着ければ おめでとう ゴールです

もちろんこれは ごっこ遊び です
階段を昇っても幸福にはなれません

この階段を昇るという斜め上への移動方向を変えて
過去から未来への時間方向の移動にしてみます

あれ?これってあなたが毎日がんばってる事
そのものですよね??

たくさんの大切な物を落とさないように必死で抱えて
歯を食いしばりながら階段を登り続けても
それは「幸せになる方法」ではありません
それは誰でもわかりますよね

階段を昇るのは自由だし
昇りたければ昇ればいいだけなのですが
「これをやりとげて俺は幸福になってやる」 と
必死の形相で頑張り続けることには意味がありません
だってそれは階段を昇っているだけですから

しかし時間の進行方向に置き換えただけで
それはごっこではなく おそろしく深刻でマジなものになります
「絶対に達成すべき最終目標」になってしまいます
「人生の最終目的」になってしまいます
「この世に生まれてきた意味」になってしまいます
「死ぬまでにやり遂げたいこと」になってしまいます
「すべてを犠牲にする唯一の生きがい」になってしまいます

違います
「前に進む」「階段を昇る」 と同じように
「未来に進む」 があるだけです

あなたは自分で勝手に一番上に
「幸福」「目標」「ゴール」という紙を貼って
持ちきれないほどの物を集めて抱えて よたよたと昇っている
それ本当に意味がありません

正解を教えたがる人々

たった一つのゴールと
そこへ至るたった一つのルート
それらを信じる人間は
それを他の人に教える事が自分の義務だと考えます

思い切りざっくり言ってしまえば
程度の差こそあれ
全ての本 全てのブログ すべてのメディア は
そんな人によってそんな目的で書かれ発表されます

「他人の価値観に縛られず
 自分の生き方を探しなさい」
と書いてある本もありますね
でもそれこそが矛盾に満ちているんです

「リラックスしろ」と怒鳴るコーチと同じです

「人に優しくすること」を命令し強制する先生と同じです

「うるさい!周りに迷惑だ」と大声で怒鳴る人と同じです

本当に「価値観は人それぞれだ」と思っている人なら
「生き方」 に関する本なんかを絶対に書きません

「他人の価値観に縛られず
 自分の生き方を探しなさい」
なぜそんな事をわざわざ本に書いてテレビに出てブログに書いて
人々に訴えようとするのでしょう
それは絶望的に逆説的です
それは壊滅的にチグハグです
全く意味が無いどころか
有害といえるかもしれません

残念な事にこれは
一部の書籍
一部のマスメディア
一部のブログ記事に当てはまる事ではありません
全部です
全部がそうです

あなたがしがみついているもの

「うちの庭が見頃になりました」
金持ちのAさんはそう聞いて知人の家を訪ねます
庭木の美しい紅葉 地を覆う色とりどりの落ち葉
集まった来客たちはその庭を褒めそやします
Aさんは嫉妬心がメラメラ

半年後Aさんは自宅でパーティーを計画
そのために庭を大改造
紅葉した樹木と大量の落ち葉を海外に発注し緊急輸入
春だった庭を力業で秋にしてしまう

 

さて、このAさんの事をあなたは笑えますか?
Aさんと同じ事をしていませんか?

ある食べ物を気に入って毎日食べようとしたり
何かの健康法美容法にはまったり

何かのコツや秘訣を誰かに仰々しく教えたり
人生訓とか成功の経験を得意そうに語ったり

正しい子育て論とか正しい蓄財法とか
正しい勉強法とか正しい倫理観とか
正しい恋愛とか正しい結婚とか
正しい人生計画とか正しい家族関係とか
正しい社会貢献とか正しい自立とか

ある時に自分が正しいと思った物に
必死でしがみついています
放さない放したくない放すものか
絶対に放さない

あなたはAさんと同じことをしています

正しさのこじらせ方

あなたが毎日浴びるように接している
膨大な数の宣伝アドバイス助言広告アイデァ生活の知恵
しかしそれらは多くの矛盾や自家撞着を含んでいます

「人の意見に従わず自分で考えなさい」という意見

「自分だけの都合を言うな」というその人だけの都合

「もっと考えて」という何も考えてない意見

「異なる考え方の人間を排除する人間は認めない」という排除

「君はありのままを見ずに決めつけをしている」という決めつけ

「落ち着いてリラックスしなさい」というプレッシャー

「革新的な発想こそが必要」という旧弊な発想

「やりたいことをしなさい」という命令

「人に優しくしていない」という叱責

「口出しせずに見守るべきだ」という口出し

「尽くしてあげたのに感謝が無い」という逆恨み

「自由がすべてに優先」という不自由な考え方

「型にはまった育て方はしていません
 うちの子は自由にのびのび育っています」という型のはめ方

「あいつは陰口を言う」という陰口

「批判ばかりで創造的意見がない」という批判

「会議が多すぎること」を検討する会議

「脇見運転注意」という道路脇の看板

「見ているだけで行動しないのが悪い」
 という見ているだけの人

「君は傲慢な人間だ」と言い放つ傲慢な態度

「それはマナー違反です」と公共の場で
 ズケズケ指摘するマナー違反

「君は差別する人間だ」という差別

「君はいじめっ子だ」といういじめ

「お前はネットリンチをした」というネットリンチ

「それはハラスメントです」というハラスメント

言葉遊びではありません
矛盾に満ちたチグハグな命令が
世の中に本当に普通にたくさんたくさんあふれています
だからそれらを聞くあなたの頭は混乱するし
あなたの感性や価値観までもがグチャグチャになります

「俺が正しい事をズバリと指摘してやる」
「みんなに正しい事を教えてやるんだ」
「みんなを俺が救ってやるんだ」
「これで世の中を良くしたいんだ」
そんな気持ちが強すぎるので
正しさのこじれた矛盾だらけの命令になります

人に何か教える職業には特に問題があります
教師、評論家、宗教家、占い師 そして親

生徒がもう少しで正解にたどり着きそうでも
性急で過剰なヒントを連発したりします
「生徒の考える力をつける」ではなく
「テストで良い点を取らせる」が目的
目的と手段を取り違えています
結局プロですから「教えてなんぼ」です
教えなければ給料は貰えないという訳です
そして生徒に自分への依存心を植え付けることを
成功だと考える先生がたくさんいます

「先生」が教える内容は大体
本人は棚上げされていて別格扱いです
「誰かがこれをしなければならない」と言った場合は
その「誰か」に本人は入っていません
「うるさい」と怒鳴る本人だけは勘定の外だし
「時間を無駄にするな」と先生が説教をする時間は
無駄な時間には入りません

砂場のスコップ

あなたは公園の砂場で遊んでいます
そこにプラスチックのバケツを持った子が来ます
その子はあなたにピカピカのスコップや熊手を見せます
「砂場で遊ぶにはこれが必要なんだ
 公園には絶対持ってくるべきだよ」
もちろんそれは正しくありません
そんな道具無しであなたは遊んでいました
それに公園の遊ぶ場所は砂場だけではありません

でもその子にあなたを騙すつもりはありません
その子は本気でそう思っているのです

だからあなたはその子に反論はしません
「うん、とても綺麗なスコップだね」
喜んだその子はあなたにスコップを貸してくれます
2人で仲良く砂場遊びをします
「もう帰るね スコップを返して」

その子が帰った後あなたは思います
「たしかに綺麗なスコップではあったね」

それから先も いろいろな人が いろいろな場所で
あなたに「砂場のスコップ」を見せてきます
熱心に 自慢げに 大事そうに 秘密めかして
もったいぶって あなたの事を思って
あなたの事を心配して
スコップは物とは限りません
知識、経験、技能、地位、学歴に経歴
家柄とか血縁とか受賞歴とか顔の広さとか

あなたはただ素直に驚き感心し感動し賞賛し
見せてくれたことに感謝しましょう
それはその人にとって本当に大事な「砂場のスコップ」なのです

1人になってからあなたはこう思う
「なるほど、あれがあの人の砂場のスコップなんだ」
そう これがリセットボタン
ギアがニュートラルに戻ります
「なるほど、あれがあの人の砂場のスコップなんだ」

立ち止まり振り返ってしまった先生たち

大きな坂があります
上には自分の思い通りにならないつまらない世界
下には何でも思い通りのワクワクドキドキの世界
その坂をすべり落ちていく沢山のビー玉
これが私たちです

そのうち立ち止まってしまうビー玉があります
「私は今すごい発見をした!」
「世の中のしくみが分かってきた!」
「私は成功する人生の秘密を手に入れた!」
「これがすべてうまくいく秘訣だ!」
そこで進むのをやめてしまうのです

立ち止まったビー玉は必ず後を振り返ります
そこには自分の後を追いかけてくるビー玉たちがいます
「私が彼らに教えなくてはならない」
「私が彼らを助けてあげよう」
「彼らを救えるのは私だけだ」
「さあみんな私の話を聞きなさい」
立ち止まったビー玉は高いところから偉そうに演説をはじめる
上から目線で指導をはじめる
教師医師政治家法律家その他になり先生と呼ばれる
テレビに出て自分の知識と体験をひけらかす
生徒を集め授業をはじめる
本を書きブログを書きます

まっしぐらに前に進むビー玉はそんな事は考えません
今試し始めた方法は一年前の方法より10倍すばらしい
一年後にさらにその10倍すばらしい方法を目指しています
誰かに何かを教えようなんて考えません
自分の後ろなんか見ていません

「私の先生はそんな事はない」
「私の先生は常に変わり続け進化しています」
あなたはそう反論するかもしれません
しかしまっしぐらに前に進むビー玉に比べると
その先生の前進は微々たるものです
そしてその先生に付き合って
あなたの前進も微々たるものになっています


坂のあちこちで善意の先生による大渋滞がおきています
あなたまで
「そんな先生にはついていくな」「私についてきて」
とかやらないでください
渋滞を解消しようとする先生たちがまたそこで渋滞を引き起こしています

あなたは前だけ向いてスイスイと進めばいいだけです
ただそれだけです
「あそこの先生は迷惑だな」とか
「あそこでも渋滞が起きている」とか見ている暇があるなら
スイスイと前へ スイスイと前へ

 

このブログも ほとんど私的な備忘録的なものです
さっと流し読み程度ですぐ忘れるぐらいの読み方がおすすめです
間違っても 「毎日読み返そう」とか「人に勧めよう」とかされないように
このブログが原因で起きる渋滞なんてそれこそ笑い話ですよね